行き辛い世の中でも笑顔で生きるために

人付き合いが苦手な人、一緒に頑張りましょう!

自分の弱点を知る

今の自分の状況に対して、恵まれているとアドバイスをしてくれた人がいた。

自分が恵まれた環境にいるというこにすら気が付かない。

それは、人間力もそうだと思う。

 

完璧な人間はいない。

魅力的に見えるのは、自分のもっていないものを持っているのであって、

その人からしてみれば、魅力に感じることもあるのだと思う。

 

自分の弱点を知ることが大切だ。

そして、それと向き合う。

向かい合うということは改善することではない。受け入れること。上手に付き合うこと。

 

自分は、自分の主張よりも周りの意見を正しいと思ってしまう。

これに対して、自分の人生なんだから自分を貫けという人がいるが、それは、違うと思う。

飛べないペンギンに空を飛ばせるようなものである。仕組みで解決する。

 

それは甘えではない。生きやすくなるコツだ。

未来と過去の時間感覚

これから起こる未来は長く険しく感じるが、すでに過ぎ去ってみるとあっという間だったと感じることが結構ある。

 

例えば、結果が出るまであと半年かかると言われると、「あと半年もかかるのかよ」と投げ出したくなるが、

終わった後で過去を振り返ると、「意外にあっという間だったな」と思うのである。

 

時間というのはほとんど主観で動いているんだなと感じる。

 

要するに不安を考えないぐらい、行動すればいい。

そして、余計なことを考えないぐらい没頭していると、気づいたら全てが終わっている

そして、やり切ったという結果だけが残る。

 

やり切る力なんてものはいらない

ふと自分の過去を振り返って、最後までやりとけげたことはあっただろうか

 

ピアノはやめてしまった

水泳も中途半端

絵の教室も

書道も

中学受験 本当に必死にやっていただろうか

アルバイトも

塾も

大学も

投資

FX、バイナリー

婚活

毎回最初はうまくいくが、途中で1つ壁が来た瞬間にやらなくなってしまう

 

逆に一度やると決めて最後までできたものって何があるだろう

 

今の仕事は続いている

その源泉はなんだろう

やはり人なのだろう

仲間の存在が大きい。やめたいと思う時に限って連絡が来る。

環境が大事。

続かなかったのは、全部1人でやっていたからだった。

日記をつけることで気持ちが楽になる。

100日日記をいうものを3年前から付けている。

 

この日記の便利なことは、今日の日記をつけるときに、ちょうど1年前の日記が出てくることだ。

ちょうど1年前の自分のことなんて覚えていない。ただ、今が辛いと1年前はきっと気楽にやっていたんだろう思って見てみるととんでもない。

愚痴がダラダラと書いてある。はっきり言って記憶にない。

そんなことに悩んでいたんだなんて笑えてくるようなことが書かれている。

そして、来年今の自分を見たときに同じような気持ちになるのだろうか。

そう思うと、感情を書き留めておくことはすごい大切だと思う。

 

過去の自分を見ることで気持ちが楽になる。

親友と言える存在との出会い

今親友と呼べる友達と言われて、2人思い浮かぶ。

1人は、中学の頃からの友達、もう1人は大学でできた友達だ。

 

中学の頃の友達は、付き合いが長い分親友と呼べる存在だと思って生きてきた。

実際、結婚式にも呼んでくれたし、今でも年に1回は会っているから親友と思ってくれているのだろう。

自分としては、中学から相性が良く友達になれていたのだと思っていたのだが、過去を振り返ってみるとどうやらそうでもなかったと思えてきた。

 

中学2年生の時に同じクラスになった彼はSくんという。

彼は、大人しく、誰とも話さない。みんなからは声を聞いたことがないとまで言われているほどの人見知りな奴だった。

そういう私もコミュ障全開だったが、当時はいじられキャラとして、クラスではふわっとした人気があった。

しかし、親友と呼べる人はいない、変にいじってみんなが笑って終わるだけだった。人気者でもなんでもない。

だから親友が欲しかった。そんな中、友達がいなさそうな彼に話しかけた。

どういう経緯で仲良くなったかは覚えていないが、色々と話す様になった。相手はあまり話さない分こちらから話すことが多かったことがよかったのかもしれない。要するに自己開示をたくさんしていたのだろう。あとは周りの仲間の存在も大きかったと思う。

気づけば帰りに一緒に帰ったりする関係になっていた。そして、彼の趣味に興味を持った。

当時、遊戯王が流行っていた。最初はよくわかなかったが、ジャンプフェスタに誘われてついて行き、試しに買ってみたことがきっかけで始めてみることにした。その後カードを集めて、よくデュエルをしていた。

しかし、今思うと向こうは親友だったのだろうかと思える様なことをいくつか要求された。

例えば、ゲームボーイ遊戯王で100戦するともらえるカードがあるのだが、ソフト貸して100戦勝てたらほしいカードをあげるとか、

ソフト付属のカードがほしいが、何個も買うの恥ずかしいから買ってほしいといったような冷静に考えるとパシリにされていた様な気もする。

今はそんな関係ではないのだが、あれはあれで楽しかったのだ。

中3には、「君がその高校に行くなら僕も志望校変えようと思う」とか言ってくれたこともあるし、いじめられそうになったときに全力で庇ってくれた。

 

友達になるとき人は自然と試しているのかもしれない、それでもこいつといたいって思えた時

自分のプライドを捨てた先に友達ってあるのかもしれない。

だから出会いなんてカッコよくなくていいんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

コミュ障の思考法

昨日から喉が痛かったが、いつもの夏風邪だと思って寝ていたら、熱が出た。

これはもしやと思って、会社を休んで病院に行ったら、案の定コロナでした。

 

今は頓服で熱が下がったとはいえ、喉が痛い。食欲はあるし、行動できる分まだましなのかも。

 

今日は、Youtubeのショート動画を流しっぱなしにしながら、寝ていた。

そこで、すごい共感できる動画があったので書いてみようと思う。

 

自分は、飲食店でアルバイトをしていたの話だ。

当時、25〜26歳ぐらいで、バイトしている子は大学生の子が多かった。店長は、関西弁混じりの人がいい感じで、色々よくしてくれたが、アルバイトの子達とはほとんど話さなかった。今まで、それは、年齢的に違うからとか気が合わないからなどと考えていたが今思うとどうやら違ったようだ。

 

それは、自分が「コミュ障」であると自覚して気がついた。自分は人見知りとか気が合う奴がいないからと思っていたがそうではなかった。

それに気が付かなかったのは、コミュ障ってどんな人かよくわかっていなかったからだ。

コミュ障って「コミュニケーションが取れない人」って意味だが、このコミュできないって細分化すると色々な要素があると思う。

それが、自分以外のものであれば、コミュ障ではないのかもしれないのだが、自分の思考習慣や行動に原因がある場合はそれはその人に原因があり、その人がコミュ障であるということだ。そして、コミュ障の思考習慣で自分のマッチするものを見つけた。そして、自分の中で腑に落ちた。

 

さて、コミュ障の特徴の1つを紹介する。これが当てがまったらコミュ障の要素を持っていることになる。

それは、「要件がないと話しかけてはいけない」という考え方だ。

ここで、大事なのは、「いけないと思っている」ことである。別に話しかけてもいいが、仕事に集中したいから話さないという選択をしているのであれば、それは単に真面目な人であってコミュ障ではない。コミュ障は、「仕事以外の話=悪」と思い込んでしまっていることである。

 

私の場合、バイトしている時はそういう思い込みがあった。だから、しょうもないことを質問したりとか、前に聞いたことを確認したりとかして、「会話する条件」を無理やり作っていた。

さらに深掘りする。なぜそんなことしてしまうのか。それは、拒絶を恐れているから。

もし仕事以外の質問をして断られたり無視されたら辛いからである。仕事のことであれば、仮に自分のことを嫌いであっても相手は話さなければならない。

常に相手の評価軸で行動しているからこうなってしまうのだろう。

無視されることも拒絶されることもあるのがコミュニケーション、そこから逃げていたのだ。

といっても、この思考習慣は、幼少期からの積み重ねな気がする。

今、私は、どうやったらこのメンタルブロックを外せるか模索している最中である。

 

 

 

 

 

いじられキャラ

俺は、小学校の頃からいじられキャラだった。

いじられることは嫌ではなかった。自分がいじられて、そしてクラス全体が笑ってくれるならいいかなと思っていた。

しかし、大人になって、人間関係で苦しむたびに、気付いた。

単にそう言い聞かせていたのだ。

本当は、自分からコミニケーションとるのが面倒だから

単に楽をしたいからいじられキャラでいたいと思っていたのだ。

 

自分は変なことをすれば、勝手にみんなが笑いに変えてくれる。だから、常に他者依存。

クラスによっていじられなくなれば、ただのインキャになる。

自分はそれを「相性」という言葉で逃げていた。こいつは俺のことをわかってくれない。

わかってくれないのではなく、そんないい加減な俺を見透かしていたのだろう。

 

小学校の頃の友達は

中学校の頃の友達は、

俺とどうしてつるんでいたのだろう。

会って話を聞いてみたい。